2021.05.03

日本をアジア史から再確認し、未来を考える 『一外交官の見た明治維新』(上・下)(アーネスト・サトウ 著)

三津田 治夫三津田 治夫

書評 / 知活人ノート

日本をアジア史から再確認し、未来を考える 『一外交官の見た明治維新』(上・下)(アーネスト・サトウ 著)
通訳士として、親善の仲介役として、日本の政策に進言する参謀として、幕末の日本に配属された若きイギリス人青年外交官の目から見た、幕末から明治初期にかけての日本の姿がリアルに描かれた名著。

この本を支える2つのリアリティ

この本のリアリティは2つの支点で支えられている。
一つは、実体験を持った人の筆によるものなので、実に生々しい。目の前で本物の幕末が展開されているような印象さえ受ける。
そしてもう一つは、作者が外国人であるという点。
とかく幕末は、日本文化を決定的に切り分けるエポックであると共に、一つのノスタルジーとロマンでもある。
誰かに文書化され大衆に認知されたものが史実として残る。その意味で日本人の手により書き残された幕末像には、それなりのバイアスがかかっていると理解できる。
この考えに立脚すると、イギリス人のアーネスト・サトウが見た幕末像にこそ、西洋人というバイアスがかかった目の付け所や描写が多い、という見方もできる。だからこそ、おもしろいし、リアリティを感じる。日本人のバイアスのかかった幕末のリアリティとの差分を読み解くことで、実際の幕末を注意深く思い描くことができる。だから本書の内容は興味深い。

西欧帝国主義史の中に描かれた日本

興味深さの最大の理由は、日本の外から、しかも、イギリス人が幕末を描いた点にある。幕末に日本人がどういった志や考えのもとで列島内で動いたのかという歴史的な動向が、イギリス人の目で、一つの「アジア史」として描かれている。つまり、イギリスやフランスがアジア各国を占領した西欧帝国主義史の中に、日本の明治維新も、アーネスト・サトウの視点によってしっかりとはめ込まれているのだ。

1854年にペリーが黒船で来航し開国を迫った目的がビジネスにあったことは頭に入れておきたい。開国後の日本にイギリスとフランスがやってきて各港で海外物流が活発になった。イギリス人が薩摩藩士に殺害される生麦事件が起こったのが8年後の1862年で、この年にアーネスト・サトウは日本にやってきた。この物語は、生麦事件から1863年の薩英戦争、1864年にかけての下関戦争、そして1868~69年にかけての戊辰戦争を背景にした記録を中心に描かれる。

薩英戦争と下関戦争では薩摩藩と長州藩がイギリス軍や連合国軍の武力に直面し、これでは太刀打ちできまいと、反発から転じて彼らを尊敬する態度へと身をひるがえす。こてんぱんにやられても相手を憎まず、きれいな言い方をすれば「相手の力を敬う」精神構造を日本人は持っている、と、ペリーの来航以来、西洋人は身をもって知った。
「強い者にはしっぽを振るふりをするのが上手な日本人」ともいえ、換言すれば「日本人の備えた高度な処世術」である。

黒船来港以来幕末の志士や藩士が佐幕か勤皇か将来の身の振りに右往左往している一方で、西欧列強諸国はアメリカ南北戦争の中古の武器をせっせと日本に送り、日本人同士を戦わせていた。ここに、西欧帝国主義史の中に組み込まれた日本の姿を直視した。

徳川幕府の260年を「沈滞の260年」と描写

幕末の日本を見たアーネスト・サトウの言葉を借りると、「とにかく大名なる者は取るに足らない存在」であり、彼らには「近代型の立憲君主ほどの権力さえもなく、教育の仕方が誤っていたために、知能の程度は常に水準をはるかに下回っていた。」という。「このような奇妙な政治体制がとにかく続いたのは、ひとえに日本が諸外国から孤立していたためであった。」と分析。そのうえで「政治の機構がひじょうに巧妙にできていたので、どんな小児でもそれを運転することができた」「こうして政治は沈滞したが、それが政治の安定とはき違えられたのである。」と結論づけている。すなわち、徳川幕府の260年は、安定の260年ではなく、「沈滞の260年」なのである。これぞまさに、変化を進化ととらえ、安定を停滞ととらえる西欧的な価値判断である。

幕府の将軍を、英文では英国のQueenと同じ「陛下」と呼んでいたが、言葉の上で将軍と女王が同格になってしまうので、これでは日本を天皇を君主とした共和国として認め、将軍をその代行者としたいイギリスの意図とは外れてしまう。そのため天皇にはEmperorという訳語を与えたという。このエピソードはとても印象深かった。外交とは、理屈や理論を通して交渉し、相手とこちらをすりあわせる、ということである。天皇や将軍といった他国の機構を自国の言葉で定義し、「外交の言葉を作る」という行為自体が帝国主義の下地にあることが理解できた。日本の皇族はしきたりや振る舞いをイギリス王室にならっているという理由は、幕末のこうしたエピソードからもうかがい知れる。

江戸の無血開城のエピソードで勝海舟は「慶喜の命を守るには戦争をも辞せず」としながら、「そんなことになったら天皇に不名誉を与えるから、内乱を長引かせるようなことは西郷の手腕で阻止されることを信じる」と述べているところも印象深かった。かなり過激な口調で火蓋を切りながらも、「天皇に不名誉を与える」と日本人の心を包括して話の抽象度を上げるという、無血開城を導いた勝海舟の政治手腕が、この小さなエピソードからも響いてきた。

幕末がラストに近づくと、土方歳三などを乗せ北海道に向かったフランス軍の率いる開陽丸が登場するが、作者は彼らを「徳川の海賊」と表現する。


この、イギリス人による日本幕末史は、帰国してずいぶん経って調べ、書きまとめられたものらしい。このアーネスト・サトウという人物の知性や行動力には驚嘆せざるを得ない。当時の日本は恐ろしい剣術を持った尊王攘夷の武士がたくさんおり、白人があちらこちらで斬り殺されていた。危険な日本列島をアーネスト・サトウは徒歩や籠、船舶を利用して駆け巡り、日本とのつながりを結ぶきっかけを作った。

西欧式帝国主義や戦争侵略とは違った形で、日本は西欧列強とのおつきあいを開始したという、アジアでも特殊な事情がこの本からよく理解できた。アジア史における日本の立ち位置を知ることは、今後の日本を考える際に、価値の高い材料になることは間違いない。


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